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こんなに大河ドラマについてブログに書く人は、制作者を除いて他にいないんじゃないかと思うのだけど、さっきドラマを見ていて、ずっと引っかかってたのはこれかもなと思い当ったので、しつこく書いてしまう。
粉じんが舞うだけでなく、光が弱く、影が深い。そういうものに違和感を感じる人が多いんだろうか。蛍光灯で照らしたような、スタジオの中で撮影したような、舞台全体をライトで照らしたような、今の日本人は、そんな照明に慣れ過ぎているんじゃないだろうか。 影があるから浮かび上がる表情や姿かたちがある。だからこそ美しいものがたくさんある。 昔谷崎潤一郎の陰翳礼讃を読んで、膝を打つ思いをしたのは、歌舞伎や芸妓の化粧について。あれには昔からなじめなかったし、なんであんな化粧をするのか、全く美しく感じられなかった(今も)。でも、薄暗い明かりの下であれば、あれくらいの白塗りのほうが、ほんのり白く美しく見えるのだろう。それを今の劇場の強い照明の下で、昔ながらの白化粧をして、違和感を感じない人が多いのは、一体どういうことなんだろう。よく分からない。 他人の美意識を理解するのは難しいので、どうしても自分の美意識のほうを正として、他の美意識を理解できないものとして見てしまう。そのせいでこういうふうに感じるのかもしれないが、今の日本人は、影のない世界で暮らしているせいで、本来美しいものが薄汚く見える一方、本来けばけばしいものを美しく感じてしまうのではないか。「本来」というが単に自分の美意識だろう、と言われそうだが、少なくとも、それが昔の日本の美意識だったのだと思う。あるいは、「きれい」というのは、ごみ一つなく清潔なことであって、美しいかどうかはそもそも埒外なのか。 何を美しく感じるかに正解はないと思うので、それが間違いというわけではないが、少なくとも、世の中の美意識が自分のそれと大きくずれているのは、心地のいいものではない。いや、ずれていること自体は構わないが、自分が好きになれないものが、世の中に溢れるのは、やはり嬉しくない。
東京でよい本屋を探しつつ、この街では本が読める、よいカフェを探している。とりあえずリストにあるカフェは全部潰したが、ちょうどいいものはなかった。
その代りに、この街でいい本屋を見つけた。東京で探していた類の。ただ、余程面白くない限り、英語で本を読み始めても途中で寝てしまうので、この本屋もあまり活用できない。 でもその代わりに、この本屋で好きな音楽を見つけて、Shazamで吸い取った。ちょうど去年吉祥寺の百年で同じように見つけたように。いい音楽はいい本屋で見つける。 見つけたという割には、新しくもマイナーでもないけれど(笑)。あくまで主観の問題。 そういえば、去年?吉祥寺の百年で見つけたFoster the Peopleが、グラミーにノミネートされていた。すごいな。この街で彼らのライブに行ったときに、ヴォーカルの彼が「1年前には友達と楽しむために演奏してただけなのに、こんな地球の反対側に来て演奏できるなんて信じられない。自分がいいと信じたことをやり続けていれば、必ず評価されるんだ。」みたいなことを感慨深げに言っていた。そこからさらに遠くまで来て、すごいね。他人事ながら、I'm happy for youという感じです。
実験をしている。おそらくとてつもなく重要な。これまでその類の実験は一度もうまくいったことがないが、今回は今のところうまく行っている。これまでとは違うのは、これまでよりも賢くなったことだ。高望みもしていないし、楽観もしていない。うまく行かないことも受け入れられるという類の賢さだ。だからずっとうまく行くとは思っていないが、大きな意味ではその可能性はあると思っている。
期待せずに希望することの難しさよ。でもそれをしないといけない。期待しないこと。そして希望すること。その二つを同時に。そして、ダメでも失望せずに希望し続けること。それは自分で実感できるよりも、おそろしく重要なんだと思う。今。
そして、孤独に見えても決して孤独ではない。なんの疑いもなく。だから、そんな難しいことも、できるかもしれない。とも思うのだ。
幸せってなんだっけ、と思った人は、これを見ましょう。たくさんある幸せの、わかりやすく強力な形。
愛する人が健やかでいること。笑っていること。何度見ても、微笑まずにはいられない。本当にパワフル。
迷っている。孤独は山にはなく街にある。一人の人間にはなく、大勢の人間の間にある。というのは三木清の有名な言葉だが、まさにそうかもしれない。本来孤独を和らげるべき場所が最も孤独を感じさせる。しかも、人間を腐らせ、品位を落とす。もとはそれでも喜びと苦しみのセットであったのが、苦しみがどんどん強くなり、喜びも弱っていっている。10年間の我慢と思っていたが、どう考えても、そんなにもつはずはないのではないか。それならば、早い方がよいのではないか。それともこれは気の迷いで、やっぱり喜びに出会うとまた、何物にも替えがたい、と思うのだろうか。あるいは失ってしまってから、この状態をも懐かしく恋しく思うのだろうか。(それは間違いなくそうなるだろうが、間違いなく逆の面もある。) 結局すべてはないものねだりだ。では、どちらのないものねだりがいいのだ、一体。今のないものねだりか、それとも・・。なにがきっかけだったか忘れたが、これまでになく現実的な可能性として考えている。でもうまく想像ができない。そうなったらどうなるのか。それは自分の強さへの想像なのか。この夏はそれを考えるいい機会かもしれない。どうなるかは誰にも分からないが、死んだように生きるよりは、いっそ死んだ方がましなんじゃないか。いや今のところ死ぬつもりはないけれど、活き活きと生きることをあきらめる必要はないんじゃないか。それがどんな結果を生むかは知らないが、だめなら死んでしまえばいい。美しいものはこの世の中に存在している。たどたどしいが繊細な詩を読みながら、そういうものを取り戻したいと思った。
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