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愛を語る??

私は男です。生物学的にも精神的にも。
愛について語る男を信用してはいけません。男が愛について語るのは、大抵の場合、
女の子を口説く時か、酔っ払った時くらいで、ろくなことはないからです。

それでも今、愛を語ろうとしている(してるのか??)のには訳があります。
今日、電車で新聞を読んでいて、目からウロコの言葉を読んだからです。

先月、清水寺に行きました。
清水の舞台を降りて少し歩くと、「今年の漢字」募集のコーナーがありました。
そういえば、毎年そんなの発表してたよな、と思ったものですが、
今年の漢字が昨日、清水寺で発表されました。今年の漢字は「愛」でした。

その記事のなかで、清水寺の森清範貫主が「相手の喜び、悲しみが伝わってくるのが愛。」と言っていました。普段なら読み飛ばしそうな記事ですが、あれ?と思いました。

「愛」などという言葉は、あまり使うことがありません。
多分、日本語で「I love you.」にあたるのは、「愛してるよ」ではなく、
「好きだよ」なのです。

要するに、「愛」は「好き」の最上級くらいのイメージでした。
あるいは、「好き」が高じて、相手のために何かしてあげたい、というような
能動的な気持ちのことかと。

でもこの森貫主が言っているのは、そういう自分の気持ちではありません。
自分の気持ちがどうかではなく、相手の気持ち(喜び、悲しみ)が伝わってくるかどうか。
逆説的だと思いませんか?

でも、実在の人の顔を思い浮かべながら当てはめてみると、
この言葉がすごくしっくりくることが分かりました。

たしかに自分が愛していると思える相手を思い浮かべると、
相手の喜び、悲しみが伝わってきているのが分かります。
その人が喜べば自分も無性に嬉しく、その人が悲しめば自分のこと以上に悲しい。

次に、その時自分の周りにいた通勤途上の人達のことを考えてみました。
今、自分の前に座っているこのおじさんに、今日嬉しいことがあったと想像する。
まーったく興味なし。どうでもよい。

次に、職場で見かける綺麗なおねえさんを思い浮かべてみる。
綺麗なおねえさんは「好き」です。大好きと言っても過言ではありません。
でも、その人に嬉しいことや悲しいことがあったと想像してみても、
自分も同じように嬉しくなったり悲しくなったりすることはない。

・・・・しょうもない例をあげているうちに、話の筋が分からなくなってきたので
話を戻します。

意識的に相手の気持ちを思い遣ろうと努めることがあります。
あるいは相手のことを愛そうと努めることもあるかもしれません。

でもそういう場合、相手の喜び、悲しみを理解しようと努めることはできても、
相手の喜び、悲しみがそのまま伝わってきているわけではありません。
そこには努力では超えられない違いがあるように思います。

いろんな含蓄のある言葉だと思いました。

今年の漢字は「愛」 (Excite News)
by tuscanycafe | 2005-12-14 00:13 | 言葉
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