たとえば狐の皮衣

汚れちまった悲しみに、みたいな感傷的なものは、昔から嫌いじゃないけれど、実は「汚れちまった悲しみ」自体はあんまり感じたことがない。たしかに「汚れちまった」と言われれば全く否定はできないが、そういう汚れた部分はずっと前から自分のなかにあったわけで、逆に、意外とピュアな部分が今もなお残っていて、汚れちまった部分と切れ目なく並存していることに驚いたりする。そして、そういうピュアな部分が、自分の年齢とか環境とか立場とか外見に合わなくなってきていることのほうに、悲しみを感じたりする。

本箱を整理していても、本を開いてしまうと、整理は全然進まないのだ。
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by tuscanycafe | 2009-07-15 01:03 | 思う | Comments(0)
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