カテゴリ:思う( 133 )

讃えよ

自分の投稿の下に表示される似たカテゴリの記事で、去年の投稿を読んだ。何月頃かを見て、よくあの状況でちゃんと暮らしてたな、、と感心した。自画自賛!
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by TuscanyCafe | 2016-10-05 01:10 | 思う | Comments(0)

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昔ネパールで仕事をしていた人が、カーストの最下層の人たちの暮らしについて話していた。その人たちは本当に犬以下の扱いを受けていて、犬もそのことを知っているかのように、その人たちのことを威嚇して追い払ったりするという。

他の人も以前に、インドに行くと本当に死んだ目をした人たちがいる、と言っていた。いくら頑張ってもよい暮らしをすることは不可能で、全く希望を無くしてしまった目。

そのネパールにいた方は、NPOの人たちについて語り出し、NPOは捕鯨に反対するかと思えば、カーストの最下層の人を助けようとするが、現地の社会にがっちり根付いた制度だから、どうしようもない。やるだけ無駄だ、何もわかってない、と言う。

僕はそれに違和感を感じながらも、何も言葉にしなかった。捕鯨の話が出たときに僕の予想した話は、反捕鯨活動の暇があるならば、その人たちを救えと言うのかと思ったら、全く違った。

自分がその立場に置かれて一番つらいのは、中国で表現の自由を奪われることよりも、内戦前のシリアでアサドの圧政下に置かれるよりも、きっとカーストの最下層で何の希望も持てないことではないかと思う。あるいは強烈な因襲のなかで物のように扱われる女子たち。

でもその人たちのために今具体的に動き出そうという気持ちがない以上、その人たちをなんとか救えないものか、という言葉はあまりに空っぽに思えた。
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by TuscanyCafe | 2016-07-20 00:23 | 思う | Comments(0)

雑文

今日、うちのローカルエンジニアの状況分析が、日本から来たアドバイザーの見立てと殆ど一緒で、アドバイザーも感心していた、という話を聞いて、それは嬉しいねぇ、と言いながら、涙腺が緩んでくるのに気付いた。何も泣くほどの話ではないから、まずいと思って顔をそむけた。

時々こういうことがあって、歳をとると無意味に涙腺が緩むのかな、とも思うが、全く脈略なく緩むわけではなく、やはり思い入れのあることについて、涙腺が緩むのだと思う。そういう意味で、そういう気持ちが残っていることに少し嬉しくなる。ほんの1週間ほど前には、生きてても何の希望もねえなーと思った記憶もあるし、それは多分今もあまり変わらないから、余計にそう感じたのだと思う。仕事にやりがいも感じるし、週末も充実しているし、大切な友人もいるが、それと大きな意味での希望とはまた別物だと思う。

愛というのはなんだろうと考えると、基本的には、大好きというのと殆ど同じじゃないかと思ったりもする。あぁ違うか。会ったこともない異国の人の安全や健康を願うような、そういう愛は当てはまらない。でも言いたかったのは、執着するほどに好きなもの、それが人であれ物であれ場所であれ、愛と呼んで大差はないのではないかと思う。今は。

だとすると、人でなくとも、物でも空間でも活動でも事業でも、自分の好きなもの、大切にしたいものに正直に時間を使えばよいのではないかと思う。どうせ死んでしまって灰になる運命なのに、社会的な責任をもとに優先順位を決めていると、廃人のようになってしまう。
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by TuscanyCafe | 2016-07-14 00:06 | 思う | Comments(0)

続く

しばらく調子がよかったのに、またここのところ症状がぶり返している。もうずっとこんな感じなんだろうか、と思ってしまう。特定の出来事や人を思い出したとしても、それはもう象徴的な意味にすぎず、だとすればもう時間が忘れさせてくれることもなく、根本的な問題がそこにある限り、ずっと続くんじゃないかと思ってしまう。そうでなければ長すぎるが、そうだとすればしんどすぎる。少し前はなんで調子がよかったんだろうか。



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by TuscanyCafe | 2016-06-16 22:47 | 思う | Comments(0)

意識の下

昨日の夜、取引先とご飯を食べながら、ひとりがヒプノシスの話をし始めた。結構効くのかもなと思いながら寝たら、起きる直前にちょっとした疑似体験をした。あまり楽しみにしていなかった(というより考えると憂鬱になった)イベントのことを、その瞬間はとても楽しみにしていた。その瞬間が夢にあたるのかどうかわからないが、一瞬の間そういう感覚に覆われた。こういうふうに無意識に近い状態に働きかけて、後ろ向きな気持ちを前向きな気持ちに変えてしまう、というのはあり得ることだと思った。というのは、そもそも後ろ向きな気持ちがずっと続いていたり、何度も何度も嫌なことを思い出してしまったりすることのほうが、理不尽だと思うからだ。そういうのも試してみてもよいかなと思う。インチキなのもありそうだから、○○協会推薦、みたいな人のほうが無難なのかな。
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by TuscanyCafe | 2016-03-02 00:53 | 思う | Comments(0)

持病または特徴

両親が自分のことを愛してくれているのは分かっていても、彼らと話すことで淋しい気持ちが全く晴れないのはなんなのだろうか。自分も子供を持つ身として、残念なことだと思う。きっと自分の娘にとっても似たようなものだろうから。

昨年カウンセラーと話した際に、子供のころの体験に何かルーツがあるはずだと言って、両親のことについても思い出してみろと言われたが、結局今の状況につながるような記憶は引き出せなかった。普通に当たり前に大事にされていたと思うし、中学の頃には酷い反抗期もあったが、それ以降は親の有り難さも理解できていたと思う。でも、自分の心の中の大切なことを親に話した記憶がないし、今も話す気にはなれない。決して理解されないだろうし、心配させるだけだと思うからだ。

そういうのは家族の文化によって違うだろうが、うちはそうだったし、残念ながら今の僕の家庭もそうだろう。(それは決して望んだものではなかったが。) 両親とそういう関係(愛してはいても心は十分に開けない)であることが、冒頭のような心境の理由かもしれない、と書きながら少し腑に落ちたような気持になった。

今日は一日淋しいような悲しいような気持ちに支配されていたが、昔ほどしんどくて耐えられないほどではなく、なんとなくそういう感情が漂っている状態で、それを掻き消すほどのイベントもなかったのでそのまま漂わせておいた。こういう気持ちが常に漂うのは、心を開いて支えにしてしまっていた友人(彼女はconfidantと表現していた)との関係が昨年無残に損なわれてしまったダメージもまだ大きいのだが、そもそも長年に亘って夫婦関係が修復不能になっていること(それなのに解消できないこと)、それと思春期のせいか娘が殆ど心を開いてくれなくなってしまったこと(必要な話とか気が向いた時には突然話し出すが)、が本質的な原因なのだろうと思う。直近に起こったことだから昨年のことが日に何度も蘇ってくるが、本質は後者のほうではないかと最近思う。あとは、勝手に期待レベルを上げる人間に気を付けろ、と書いている人がいたが、少し耳の痛い気はした。勝手に上げているつもりはないのだが。

昨日書いたみたいに、人との関係を頼りにせずに、おたくとして好きなことを見つけてそこに没頭できるようになれればどれだけいいかと思う。それは僕にとっては人との関わりを避けるつもりは全くなく、友人や見ず知らずの人を含めた人との関わりは大切にしつつ(これは昔よりもできるようになってきたのを誇らしく思ったりする)、そのレベルで満足できるように、ということ。人と理解しあい深くつながることを求めてしまうのは、小さいときのトラウマと結びついているかどうかは別として、僕の持病(とまで言わなければ、特徴)なのだろうと思う。状況自体を変えることができないのであれば、自分の持病を徐々に治していかないといけないのだと思う。
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by TuscanyCafe | 2016-02-21 01:04 | 思う | Comments(0)

繰り返し

もう何年も前に書いた、こういう文章も、しっくりくるなぁ。

エモーショナル
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by TuscanyCafe | 2015-12-16 00:51 | 思う | Comments(0)

漆掻きとタッピング

さっきNHKのサラメシで、漆掻き職人が出てきた。漆の木に傷をつけて樹液を取る、体力のいる仕事。まだ30過ぎくらいだったと思うが、自分の仕事に誇りを持っていて、誠実な仕事をやろうとしていることが、言葉の端々から伝わってきた。

これが日本だと思う。他の国でもあるかもしれないけど、今僕が住んでいる国では皆無だろう。こちらでいえば、漆ではなく天然ゴムの樹液を取るタッピングという仕事がとても似ているが、その人たちの意識はおそらく職人ではなく3Kの作業員だと思う。その人たち自身の意識の低さを責めているのではなく、そもそも周囲がそういう処遇しか与える気がなく、その技を深めてよりよいものを作っていこうという意識も皆無なのだと思う。

工芸品となる漆と工業製品となる天然ゴムという違いはあるだろうが、こちらの国ならば、漆であっても間違いなく同じだろう。そもそも誰も体を使う仕事をやりたがらないし、それに誇りを持つ人もいない。そういう意識が人の心に完全に沁みついている。この国のそういうところが、とても残念だと思う。日本の教育は駄目だとか、日本人の意識が低くなったとかよく言われるし、それにも一理はあると思うが、こういうものを見ると、日本の文化の奥深さを感じる。
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by TuscanyCafe | 2015-09-28 23:55 | 思う | Comments(0)

支え

(もう一度またネガティブな話ですみません。)
ある関係を失ったときに、そのあと何か月もの間、毎日つらい思いをするというのは、それだけその関係を大切にしていたというだけなので、それを恥じる必要はないのだと思う。むしろそれをあっさり捨てられることのほうが、恥ずべきこととまでは言わないが、むしろ虚しいことなのではないか、と思うのは独りよがりすぎるだろうか。いずれにせよ、それを恥ずることなく、そしてそこから怒りの感情で逃げるのではなく、深い悲しみをそのまま受け入れること。その誠実さに誇りを持つこと。それを想像上の誰かがadmireしてくれると信じること(実際には誰の目にも触れないのだが)。そういう気持ちで乗り切るのがよいのではなか。毎日気持ちは変わってしまうが、今日のところはそう思った。
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by TuscanyCafe | 2015-08-03 23:43 | 思う | Comments(0)

なし

今年のフジロックは、見たライブが殆ど当たりで、さらに似た趣味を持った人と仲良くなったりして、これまでにないくらいいい経験だった。やっぱり色々あったせいで、自分の心もオープンになってたり、そういうのもプラスに働いてるのかな、と自己満足に浸っていた。

ライブの感想やらなんやらをここにも書こうかと思っていたのだが、東京の家に帰ってきて、またずどんと落ち込んでいる。なんでうちの家は、今日こんなことがあったよ、こんな人に会ったよ、という普通の話すらしてはいけないんだろう。それすらできないのなら、なんの夫婦なんだろう。もう慣れっことはいえ、暫く離れていて甘く見ていた。

僕が当たり前と思うことが当たり前で通じないで、理解不能な反応が帰ってくるのは、他にもあったわけだから、僕の頭の方がおかしいのかしらん。

八方塞がりで本当に嫌になる。ここまで来たら、遅きに失した離婚も真面目に考えようかと思い始めている。経済的なことも具体的に考えないといけないし、どうやって話をするかも考えないといけない。いっそ八方塞がりならば、変化も必要なんじゃないかと。もう死んでしまいたいくらいに思うのならば、生きるための方策を考えるべきなんじゃないかと。

しかしそれにしても、さっきの会話は本当にずれている。どうしようもなくずれている。
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by tuscanycafe | 2015-07-27 22:22 | 思う | Comments(0)