地に足がつかない

ここのところ、いろんなところを跳びまわっていました。
そして気付いたら、2月の更新、なんとゼロ。
ひと月の更新ゼロは、多分はじめてです。
(その間、時々覗いてくださった方、ありがとうございます。)

先週ほんの数日間日本を空けて帰ってきたら、
カーリング・ブームが起こっているという。
じゃあいい成績だったの?と聞いたら、予選で負けたと言う。
ふーむ、不可解。

その場にいないと理解できないことは多いようです。
(同じTVが観れる場所に。)

オリンピックで印象に残った選手は?、と聞かれれば、
なぜか、スルツカヤと上村愛子、という答えになります。

負けた時に、ああやって笑える選手はかっこいいなぁ。
スルツカヤは外から見る限り屈託なく笑顔。
上村愛子は悲しそうだけど噛み締めるように笑顔。

負けて泣き叫ぶ選手も結構かっこよかったりするし、無理して笑う必要もないですが、
自分だったら、間違いなくみっともない顔しかできないので、心に残りました。

カーリング・チームも、負けても何か心に訴えるものがあったんでしょうね。きっと。
(どうせ日本のTV局が無理やり盛り上げたんとちゃうの?という疑いも拭えてませんが・・・笑)

あちこち行ってた話は、また別の機会に。
とりあえず、久しぶりの更新のための更新でした。
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# by tuscanycafe | 2006-03-01 00:48 | 暮らす | Comments(4)

テントとリベラル

たいていのことに関しては、自分はリベラルな方だと思う。
偽善者と言われようが、そういう風に感じてしまうのだから仕方がない。

でも、これに関しては、リベラルの仮面(いや演じてるつもりはないけど)をかなぐり捨ててしまう。

テントの撤去を完了 ホームレス1人を逮捕(Exciteニュース)

公園はただじゃないですからね。冷たいようですが。
都心の一等地を開発しないで公園のままにしてるのは、そこで憩いたい人がいるから。
ブルーシートのテントの目立つ公園では憩えない。
それを許すんだったら、公園なんて潰して、家でも建てたほうがいい。

昔から上野公園にはテントが多かったけど、最近は日比谷公園にまでテントが建っている。(ごくごく最近は行っていないので、どうなってるか把握してませんが。) ただでさえ憩える公園が少ない東京なのに。

公園に住ませないのは生存権の侵害だ、というのは、どうかしてるなぁ。
税金を使ってホームレスの人のシェルターを用意するは構わないから。
自立支援に税金を使うのも構わないし。

リベラルと言えば。
死刑廃止を主張する人は、全く大馬鹿者のアホチンだと思う。
それから、中絶の自由は、昔は迷いなく賛成だったけど、今は微妙だなぁ。
胎児だった存在がこの世に出てきて笑っているのを一度見てしまうとなぁ・・・。

そう考えると、自分はあんまりリベラルじゃないのかも。
というより、リベラルとか保守とか、そういう区別自体、どうでもよいのでしょうが。
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# by tuscanycafe | 2006-01-31 00:54 | 思う | Comments(4)

雪だるま

そろそろブログも再開しなきゃなーと思いつつ、書くことが思いつかない今日この頃。
なにしろこの1ヶ月で2件しか書いていない。

ふと思い立ち、他愛のない近況などを綴ってみる。

昨日は娘と娘の友達と一緒に、雪だるまを作った。
あまりに久しぶりなので、雪だるまの作り方を忘れてしまい、
お地蔵さんのような寸胴な雪だるまができた。結構、不気味だった。

雪だるまなんて作ったのは何年ぶりだろう・・・、と考えてみて、
もしかしたら初めて作った雪だるまかも、と気付く。

子供の頃に雪だるまを作った記憶がない。

最近、なんでもかんでも忘れてしまうので、自分でも驚いてしまう。
去年、父親が癌ではないかと診断され、大騒ぎになった。
父親はしょげかえって身辺整理を始めるし、こっちはこっちで
ネットで色々調べたり、医者の友達に相談したりと、大騒ぎだった。
(結局、癌ではなかったのだが。)

そんな大騒ぎですら、終わってしまえば忘却のかなたへ。
昨日ふと、あれって何癌を心配してたんだっけ、と思い出そうとして、
結局思い出せなかった。 このイカレ脳みそ。

雪だるま、作ったことあったのかなー?

殆ど雪の降らない地域だったとはいえ、考えてみれば、あんまり子供らしくない子供だった。
小学生の頃、無我夢中で遊ぶよりも、すでに女の子を意識してかっこをつけてた気がする。
嫌な子供だ。

かっこをつけた自分と、自分の正体があまりに乖離していたのを、子供なりに認識していて、
「将来結婚したらこの本性がばれて、嫌われてしまう」、などと訳の分からない心配をしていた。

小学校の担任教師が、「最近の子供は三無主義(=無気力、無感動、あとなんだっけ?)」、
などと言うので、自分もそれかな、と考えていた記憶がある。
今だったら、「大きなお世話じゃ、ほっとけ、ぼけ」と思えるのに。子供は素直だ。

年をとるにつれて、人と意見が違う場面に出くわすと、なんでも自分が正しい、
と考える癖がついてしまった。 どっちもどっちだ。

小学校に入るときに、母親から言われた言葉を今でも覚えている。
「先生の顔をちゃんと見て、先生の話をよく聞きなさい。」

人の顔を見て話を聞く癖がついたのは、とてもよかったけれど、
先生の話を全部真に受けたらいかん、ということも教えたほうがよかったかもしれない。

今から思えば、小学校の担任の先生はかなり左翼だった。
この先生は、「浅間山荘事件は、政府が仕組んだやらせの可能性がある」、と言っていた。
こっちがお馬鹿さんで、意味が理解できなかったのが幸いだ。

さっきから、この文章をどうやってまとめるかを探しながら書いていたら、
妙案のないまま、ただ長くなってしまった。

きりがないので、ここで強制終了します。(ぶちっ)
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# by tuscanycafe | 2006-01-24 00:48 | Comments(2)

新年1本目

だららー、だらだららー。
そんな風に過ごした年末年始。

曙はひどいね、とか、それに比べて山本KIDはかっこいいね、とか、
中島美嘉が終わってないのにサブちゃんの前奏始まってるやん、とか、
次長課長って昔は次長課長社長の3人組だったんやて、とか。

そんなことを言っているうちに、年が明け、

娘とエンドレスで「どうぶつかるた」をやっているうちに、
あっという間に休暇も終わりました。

それもこれも、この異常な寒さがいけません。
地球温暖化を果たして防止する必要があるのか、大いに疑問です。

休み中も何度かブログを書こうと試みるも、すべて途中で断念し未完成。
だらだら過ごしてると、ブログすら書く気力すら出てこない。

やっと仕事も始まり、なんとか脳ミソが少しずつ動き出してきました。
新年会を3回くらいしたら、元に戻るでしょうか。

ということで、久しぶりの更新となりました。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

ところで、義理人情と言いますが、
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# by tuscanycafe | 2006-01-12 00:14 | 暮らす | Comments(5)

思い出したこと

さっき、とある本を読んでいたら、
主人公(子供)が赤痢で病院に隔離されるシーンが出てきた。

そういえば・・・と、すっかり忘れていた記憶が蘇る。

娘がまだ2歳になる前、
二重扉のついた隔離病室に入院した。

口にした何が悪かったのか、未だにさっぱり分からないが、
食中毒に見舞われたのだ。

本人はまだ上手く症状が説明できなかったが、
お腹が痛いらしいことは分かった。

週末で近くの病院が閉まっていたこともあり、
風邪のせいでお腹の調子も悪いのだろう、と考え
以前にもらった薬を飲ませて様子を見ていた。

次第に目の輝きを失ってぐったりする娘。
娘の目はいつもなら異常なくらいにキラキラしている。
何がそんなに楽しいのかと訝りたくなるくらいに。
その娘の目が死んでいた。

月曜日、病院に連れて行った妻から職場に電話が入った。
妻は、よほどのことがない限り、職場には電話してこない。
受話器を取りながら緊張した。

食中毒で今から緊急入院するの、と妻が言う。
それも、近所の総合病院ではなく、隔離病棟のある病院へ。

入院して医者から説明を聞くうちに、
命に別状のある話ではなさそうだということは分かった。

それでも、しばらく娘の目は死んだままだった。

お腹が痛い、ということを表現できず、
お腹が痛いときには、「うんち、でた!」と泣き叫んだ。

都度おしめを見てみるが、うんちは出ておらず、
どうやら腹痛の波が来たときに、そう表現するのだと分かった。

本当にうんちをしたときは、水のようだった。
おしっことの区別がつきにくかったが、かすかに色がついて
お尻が汚れていたので、うんちと分かった。

あるとき、殆ど無色透明な、うんちの海のなかに、
黒い小さな粒々を大量に見つけたときは、心底驚いた。
その黒い粒々は、おむつのなかに無数に広がっていた。

お腹の中の悪い虫が、ぼろぼろと出てきたのかと思った。
あるいは、腸の中の蝕まれた部分が、ぼろぼろと固まって落ちてきたのかと。

娘がその前日にキウイフルーツを食べたことを知ったのは、
それから数時間後のことだった。
なんのことはない。キウイの種だったのだ。

少し動けるようになると、点滴の管をとても嫌がった。
柵の付いたベッドの上で、動こうとして動けず、点滴の管が体に絡まり、
癇癪をおこした。

いまだに何が原因で食中毒になったのかは分からない。
同じものを食べていたはずの親は2人ともなんともなかった。

子供の口に入るものは、すべて親が選んでいたわけだから、
誰の責任かと言えば、親しかいない。
それでも、食中毒になってしまったこと自体については、
どうしようもなかったという思いがある一方で、
週末に苦しみだした時に救急病院に行かず、月曜日まで待ってしまったことを、
心底申し訳なく思った。

娘が生まれてから今まで、ことあるごとに娘の写真を撮ってきた。
でも、この入院中の写真は、一枚もない。
娘が痛がっている姿は見るに堪えなかったし、当然といえば当然なのだが、
退院の日の朝、カメラを忘れたことを悔やんだ。
写真を撮っておけば、今後の戒めとして思い出せると思った。

退院した日、まだ娘の目はとろんとしていて、生気は半分も戻っていなかった。
このまま戻らなかったら、と本気で心配したが、今ではそんな心配も嘘のように感じる。

このまま行ったら、完全に忘れかねない。
今残っている記憶をそのまま書き出してみよう・・・

そう思って書いたのがこの文章です。長文、失礼しました。
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# by tuscanycafe | 2005-12-27 01:20 | 思う | Comments(6)

愛を語る??

私は男です。生物学的にも精神的にも。
愛について語る男を信用してはいけません。男が愛について語るのは、大抵の場合、
女の子を口説く時か、酔っ払った時くらいで、ろくなことはないからです。

それでも今、愛を語ろうとしている(してるのか??)のには訳があります。
今日、電車で新聞を読んでいて、目からウロコの言葉を読んだからです。

先月、清水寺に行きました。
清水の舞台を降りて少し歩くと、「今年の漢字」募集のコーナーがありました。
そういえば、毎年そんなの発表してたよな、と思ったものですが、
今年の漢字が昨日、清水寺で発表されました。今年の漢字は「愛」でした。

その記事のなかで、清水寺の森清範貫主が「相手の喜び、悲しみが伝わってくるのが愛。」と言っていました。普段なら読み飛ばしそうな記事ですが、あれ?と思いました。

「愛」などという言葉は、あまり使うことがありません。
多分、日本語で「I love you.」にあたるのは、「愛してるよ」ではなく、
「好きだよ」なのです。

要するに、「愛」は「好き」の最上級くらいのイメージでした。
あるいは、「好き」が高じて、相手のために何かしてあげたい、というような
能動的な気持ちのことかと。

でもこの森貫主が言っているのは、そういう自分の気持ちではありません。
自分の気持ちがどうかではなく、相手の気持ち(喜び、悲しみ)が伝わってくるかどうか。
逆説的だと思いませんか?

でも、実在の人の顔を思い浮かべながら当てはめてみると、
この言葉がすごくしっくりくることが分かりました。

たしかに自分が愛していると思える相手を思い浮かべると、
相手の喜び、悲しみが伝わってきているのが分かります。
その人が喜べば自分も無性に嬉しく、その人が悲しめば自分のこと以上に悲しい。

次に、その時自分の周りにいた通勤途上の人達のことを考えてみました。
今、自分の前に座っているこのおじさんに、今日嬉しいことがあったと想像する。
まーったく興味なし。どうでもよい。

次に、職場で見かける綺麗なおねえさんを思い浮かべてみる。
綺麗なおねえさんは「好き」です。大好きと言っても過言ではありません。
でも、その人に嬉しいことや悲しいことがあったと想像してみても、
自分も同じように嬉しくなったり悲しくなったりすることはない。

・・・・しょうもない例をあげているうちに、話の筋が分からなくなってきたので
話を戻します。

意識的に相手の気持ちを思い遣ろうと努めることがあります。
あるいは相手のことを愛そうと努めることもあるかもしれません。

でもそういう場合、相手の喜び、悲しみを理解しようと努めることはできても、
相手の喜び、悲しみがそのまま伝わってきているわけではありません。
そこには努力では超えられない違いがあるように思います。

いろんな含蓄のある言葉だと思いました。

今年の漢字は「愛」 (Excite News)
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# by tuscanycafe | 2005-12-14 00:13 | 言葉 | Comments(8)

雑感

今日、帰り道に夜空を見て驚いた。
すんごいたくさん星が見える。
東京でこんなにたくさん見えるのは、すごく久しぶりでは?

そういえば、子供の頃は天の川が見えた記憶があるのだけど、
あれは本当の記憶なのかな。
今ならとてもじゃないけど見えないから、自分の記憶を疑ってしまう。

家に帰ると、寝室から娘の咳が聞こえてきて、ひどくいたたまれない。
人の気持ちは純粋に見えても、実は色々混じっていることが多いけど、
娘に対して抱く気持ちだけは、混じりっけがなく純粋に思える。
(でも、そんなことを考えるのも自己満足が混じってるから? と考え出すと
 きりがないのでやめる。)

今の子供は、天の川を見たことがなくて、七夕のお話を理解できるのかな、とふと思う。
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# by tuscanycafe | 2005-12-10 00:40 | 思う | Comments(0)