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This means something right?

一人で旅(といっても仕事の出張)をしているときは気分が良くて、家に帰って来ると憂鬱になり、明日から仕事に行くとまた気が紛れておそらく普通に戻る。これはそのまま何かを示しているのだけど、今まで見ないふりをしてきたのは何でだったっけ。

旅先で出会う人達が興味深かったり、海外の人達が皆もっと自分に正直に生きていて刺激をもらったり、そういうこともあるが、それを差し引いたとしても、上に書いた事実は自分の進むべき道を如実に現れしてるような。

人を幸せにしたければまず自分が幸せになりなさい、という言葉は、おそらく真実なのだと思うが、何人かの人を傷つけるのはやはり恐ろしかったり憂鬱なことなのだ。でもこの状態を分かりながら良しとしている人に対してはそれを心配すべきなのか、という黒い思いも半ば意識的に思い出す。(そういう事実は普段しんどいから意識の外に追いやっているのだ。) いずれにしても真面目に考えると憂鬱になるので逃げたくはなる。

寝る前にテレビでYou Got Mailを見たのに温かい気持ちにはならないもんだ。いつもエレベータのシーンのWhere's my Tictac?という台詞で妻を思い出す。そんなことも影響してるのかもしれない。あの映画はもう20年近く前なので、そんなに前からその事実から逃げてきた可能性もあって少し驚く。


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by TuscanyCafe | 2017-10-10 00:24 | home | Comments(0)

はんせい

昨日少しお金にうるさいような発言をしてしまい、その自己嫌悪が今日まで引きずっている。こんなに嫌な気分になるのなら、そのお金を全部放棄したいくらいだが、こんなに嫌な気分になってるから、せめて次からは同じことを言わない知恵を身につけたい。落ち着いて考えれば馬鹿なことなのに、その時は思いが至らずに言ってしまい、後悔することが少なくない。元々大きな人がそのままでいるのと違って、元々小さい人はこうやって失敗して身につけていくしかないんだろうけど、この歳までそんなことを言ってるのは情けないので、それがまた自己嫌悪に輪をかける。


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by TuscanyCafe | 2017-09-17 12:26 | Comments(0)

just let go

昔いろんなことがあった人の消息を久しぶりに聞いて、まだこんなに動揺する自分に、思いのほか動揺した。前は1年ほどの間、その人のことを考えない日はなかったが、もう会わなくなって時間が経ち、最近では考えない日の方が多くなっていた。あの頃は本当にぼろぼろだった。またすぐに忘れられることをただ願う。
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by TuscanyCafe | 2017-07-24 23:37 | 思う | Comments(0)

Don't take ANYTHING personal.

Don't take it personal.というのはよく言うが、Don't take anything personal.という文章を読んで、それもそうだなと思った。

人はみんな自分のストーリーの中を生きていて、そのなかで希望や羨望や絶望や、憧れや焦りや劣等感、色んなものを抱えて生きている。だから、誰かが何かをしても、それに振り回されたり傷つく必要はない、ということ。

ただ、その相手が自分にとってかけがえのない人だと思っていた場合は、そんなに簡単には割り切れないと思うが、そういう人も含めて、一時的に自分のストーリーと重なることはあっても、それがずっと続くと期待するのが間違いなのだろう。

自分が心地よく感じ、誇りを持てる形で、自立して、そして面白く生きていくこと。ん、話ずれたかな。



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by TuscanyCafe | 2017-03-27 17:32 | 言葉 | Comments(0)

注ぐ

数年ぶりに日本に帰ってきて、日本のドラマをいろいろ試している。他愛のない話のようだけど、そのなかで東京タラレバ娘は好きだ。でも一番ぐっとくるエピソードは実は恋愛の話ではなく、先週のように、本気でやっている仕事の話だと気づいた。

そういえば、好きな映画でも、(500) days of summerや、そのオマージュのような映画版のモテキも、恋愛の部分ではなく仕事の部分にぐっと来た。前者だと、主人公が黒板に建築の絵を描き始めるシーン。後者だと、主人公が深夜に嫌いな男のインタビュー記事を書き上げるシーン。どん底にいる人間が自分と真っ直ぐ向き合うのに、仕事は格好の材料だ。情熱と誇りを取り戻せる。

とは言え、仕事だけのビジネスドラマはあまり見る気にならず、半沢直樹も結局第一話しか見なかった。でもあの話は仕事ではなく復讐がテーマか。自分がその境遇におかれたら復讐に燃えるのだろうが、わざわざ好んで復讐の話を見たいとは思わない。もっと純粋に仕事に向き合いたい。

そういえば、去年観たなかで一番好きだったSing Streetも、ラストシーンでぐっと来たのは恋愛に関することではなく、自分の思いを貫くことなんだと思う。

やっぱり仕事は、食うためだけでなく、ぐっとくるもんじゃないとダメだ。仕事に自分の思いを注ぐこと。そして、仕事でもなんでも、自分に正直に生きること。自分の好きなものを大事にすること。

最近なんか熱い投稿が続くね。自分を鼓舞してるのかも。



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by TuscanyCafe | 2017-02-24 23:03 | 働く学ぶ | Comments(0)

旅の時間

時々は旅に出るのが大切だと改めて思った。たとえそれが仕事の出張であっても、時間に追われすぎずに、一人で旅をすること。今日、旅の移動のなかでふと、最近出したある小さな結論が、保身に近いものだと気づいた。それを決めたときはベストだと思ったものだったが。

旅をしていると、周りの論理と関係なく自分がそうありたい方向に自然体で考える時間が増える。そして、それを選んで困難を招くことがあっても、それを乗り切れる自信も湧いてくる。周りに誤解を生む可能性のある決断をするとき、体調や心調が悪いと、それをやりきる自信が湧いてこなくなり、守りに入ってしまうことがある。誰もそれを要求しないのに。

少し話は変わるが(後で戻ってくる)、街を歩いていて、この人かっこいいなぁと見とれてしまう女の人は時々いるが、同じように思える男はなぜかいない。僕が男で女が好きだから、というのはあるかもしれないが、それだけじゃないと思う。

僕がかっこいいと思う女の人は、イメージでいえば、背筋が伸びていて、服装なども格好よく、そしていい表情をしている。決して周りに媚びたり僻んだりせず、すっと立っている感じ。それでいて周りを受け入れる強さと柔らかさを備えている。そういう人に憧れるが、なぜか男の人よりも女の人の方が、そういう印象を受ける人が多い。そして、なぜかマイナーなライブ会場や美術展、あるいは空港などで見かけることが多い。

話を戻すと、今日も旅の途中でそういう人を見かけて、刺激を受けることができたのが影響したのだと思う。

昨日の晩、前の国の部下達とWhatsappで話していて、そのうちの一人が、僕のカバン持ちでいいから日本で雇ってくれ、というので、何を言ってるんだ、君らのオフィスの方がずっといいよ、と言ったら、じゃあなんで日本に帰ったの?、戻ってきなさい、と言われて、答えに窮してしまった。なんで僕は日本に帰りたいと思ったのか。日本の今の環境が嫌ならば、なにが嫌なのか。どうしたら変えられるのか。あるいはそんなことも、今日の思考に影響していたかもしれない。

いずれにせよ、陳腐な言葉だが自分らしく生きること。卑屈にならないこと。自分がよいと信じたことを真剣にやっていれば、途中で誤解がされることがあっても、分かってくれる人はたぶんいること。いなかったらしょうがないこと。そして自分が本質的だと思わないことについては、自分のやりたいようにやること。それを忘れないようにしよう、とブログを開いた。



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by TuscanyCafe | 2017-02-23 21:57 | 働く学ぶ | Comments(0)

happy sad

最近日本に帰った時に驚いたことがひとつあった。

妻と一緒に出掛ける用事があって電車に乗った。少し混んでいたが、向かい合って離れた席が二つ空いたので、二人とも座った。途中で電車が空いてきて、僕の隣の席が空いたら、妻が隣に移ってきた。

まるで普通の光景のようだけど、僕の覚えている限り、こんなことは過去10年間になかったと思う。

時々日本には帰っているが、そういえば最近2回ほどは酷い言い争いもなかったし、家に着いたときも、妻がこちらを見て「おかえり」と言っていた。そういうことも、一緒に住んでいるときにはなかったことだ。

離れて暮らしているので衝突の機会が少ないと言えばそれまでだが、それだけではないと思いたい。ここ1年くらいは毎週彼女に電話をするようにしてきた。なぜか僕からかけることしかないのだが、それについても何も言わないことにしている。最近読んでいる本で、Inside Outという表現が出てきた。周りに変わってほしいと望むのではなく、自分が変わること。自分がコントロールできる範囲に集中すること。そうやって内側から外側に働きかけること。それがうまく行っていると思いたい。

週末に友達と旅行に行って夜にあれこれ話をした。結婚生活の話になって、お互いに愛していないのならどうして別れないのか、そんなしんどい人生でいいのか、別れる手段を探してはどうか、と聞かれ、いろいろ説明をしたが、今はそれについては聞かないでほしいと思った。今更奇跡が起こるとは期待していないが、当初の目標である良き隣人くらいにはなってきた気がするし、もしかしたらそれ以上にもなれるかもしれない。だから、そっとしておいてほしいと思う。

思春期の娘は、普段何を聴いても「うん」としか答えないが、前回帰った時に二人で話す機会があり、10分ほどだったが案外なんでも答えてくれた。読まないだろうと思いながら娘にあげた本も、いつの間にか読んでいたようで驚いた。こちらも我慢強くいこうと思う。

最近見た映画Sing Streetがすごくよかった。いいセリフもたくさんあって、僕はRaphinaの言うhappy sadで行こうと思った。

"Your problem is that you're not happy being sad. But that's what love is, Cosmo. Happy sad."



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by TuscanyCafe | 2016-09-12 22:46 | home | Comments(0)

雑文

今日、うちのローカルエンジニアの状況分析が、日本から来たアドバイザーの見立てと殆ど一緒で、アドバイザーも感心していた、という話を聞いて、それは嬉しいねぇ、と言いながら、涙腺が緩んでくるのに気付いた。何も泣くほどの話ではないから、まずいと思って顔をそむけた。

時々こういうことがあって、歳をとると無意味に涙腺が緩むのかな、とも思うが、全く脈略なく緩むわけではなく、やはり思い入れのあることについて、涙腺が緩むのだと思う。そういう意味で、そういう気持ちが残っていることに少し嬉しくなる。ほんの1週間ほど前には、生きてても何の希望もねえなーと思った記憶もあるし、それは多分今もあまり変わらないから、余計にそう感じたのだと思う。仕事にやりがいも感じるし、週末も充実しているし、大切な友人もいるが、それと大きな意味での希望とはまた別物だと思う。

愛というのはなんだろうと考えると、基本的には、大好きというのと殆ど同じじゃないかと思ったりもする。あぁ違うか。会ったこともない異国の人の安全や健康を願うような、そういう愛は当てはまらない。でも言いたかったのは、執着するほどに好きなもの、それが人であれ物であれ場所であれ、愛と呼んで大差はないのではないかと思う。今は。

だとすると、人でなくとも、物でも空間でも活動でも事業でも、自分の好きなもの、大切にしたいものに正直に時間を使えばよいのではないかと思う。どうせ死んでしまって灰になる運命なのに、社会的な責任をもとに優先順位を決めていると、廃人のようになってしまう。
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by TuscanyCafe | 2016-07-14 00:06 | 思う | Comments(0)

意識の下

昨日の夜、取引先とご飯を食べながら、ひとりがヒプノシスの話をし始めた。結構効くのかもなと思いながら寝たら、起きる直前にちょっとした疑似体験をした。あまり楽しみにしていなかった(というより考えると憂鬱になった)イベントのことを、その瞬間はとても楽しみにしていた。その瞬間が夢にあたるのかどうかわからないが、一瞬の間そういう感覚に覆われた。こういうふうに無意識に近い状態に働きかけて、後ろ向きな気持ちを前向きな気持ちに変えてしまう、というのはあり得ることだと思った。というのは、そもそも後ろ向きな気持ちがずっと続いていたり、何度も何度も嫌なことを思い出してしまったりすることのほうが、理不尽だと思うからだ。そういうのも試してみてもよいかなと思う。インチキなのもありそうだから、○○協会推薦、みたいな人のほうが無難なのかな。
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by TuscanyCafe | 2016-03-02 00:53 | 思う | Comments(0)

持病または特徴

両親が自分のことを愛してくれているのは分かっていても、彼らと話すことで淋しい気持ちが全く晴れないのはなんなのだろうか。自分も子供を持つ身として、残念なことだと思う。きっと自分の娘にとっても似たようなものだろうから。

昨年カウンセラーと話した際に、子供のころの体験に何かルーツがあるはずだと言って、両親のことについても思い出してみろと言われたが、結局今の状況につながるような記憶は引き出せなかった。普通に当たり前に大事にされていたと思うし、中学の頃には酷い反抗期もあったが、それ以降は親の有り難さも理解できていたと思う。でも、自分の心の中の大切なことを親に話した記憶がないし、今も話す気にはなれない。決して理解されないだろうし、心配させるだけだと思うからだ。

そういうのは家族の文化によって違うだろうが、うちはそうだったし、残念ながら今の僕の家庭もそうだろう。(それは決して望んだものではなかったが。) 両親とそういう関係(愛してはいても心は十分に開けない)であることが、冒頭のような心境の理由かもしれない、と書きながら少し腑に落ちたような気持になった。

今日は一日淋しいような悲しいような気持ちに支配されていたが、昔ほどしんどくて耐えられないほどではなく、なんとなくそういう感情が漂っている状態で、それを掻き消すほどのイベントもなかったのでそのまま漂わせておいた。こういう気持ちが常に漂うのは、心を開いて支えにしてしまっていた友人(彼女はconfidantと表現していた)との関係が昨年無残に損なわれてしまったダメージもまだ大きいのだが、そもそも長年に亘って夫婦関係が修復不能になっていること(それなのに解消できないこと)、それと思春期のせいか娘が殆ど心を開いてくれなくなってしまったこと(必要な話とか気が向いた時には突然話し出すが)、が本質的な原因なのだろうと思う。直近に起こったことだから昨年のことが日に何度も蘇ってくるが、本質は後者のほうではないかと最近思う。あとは、勝手に期待レベルを上げる人間に気を付けろ、と書いている人がいたが、少し耳の痛い気はした。勝手に上げているつもりはないのだが。

昨日書いたみたいに、人との関係を頼りにせずに、おたくとして好きなことを見つけてそこに没頭できるようになれればどれだけいいかと思う。それは僕にとっては人との関わりを避けるつもりは全くなく、友人や見ず知らずの人を含めた人との関わりは大切にしつつ(これは昔よりもできるようになってきたのを誇らしく思ったりする)、そのレベルで満足できるように、ということ。人と理解しあい深くつながることを求めてしまうのは、小さいときのトラウマと結びついているかどうかは別として、僕の持病(とまで言わなければ、特徴)なのだろうと思う。状況自体を変えることができないのであれば、自分の持病を徐々に治していかないといけないのだと思う。
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by TuscanyCafe | 2016-02-21 01:04 | 思う | Comments(0)