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手遅れ

  ておくれ 【手遅れ/手後れ】
  手当てや処置の時機が遅れること。時機を失して、効果的な手を打てないこと。
  (三省堂「大辞林 第二版」より)

新幹線の自由席車両に乗ったら、三人掛けの席が3つとも空いていたので、一番窓側に座った。

次の駅に着いて、若いおにいちゃんが僕の席の二つ隣の通路側の席に座った。そして、すぐに机を下ろしてすぐにPCを開いた。その次の駅で(こだまなのでよく止まる)、大きいスーツケースを持ったお姉さんが乗ってきて、僕とPCのにいちゃんとの間の席に座った。スーツケースは窮屈そうに前の座席との間に置いた。気がついたら、PCのにいちゃんも、スーツケースのお姉さんも、ぐっすり寝ていた。(PCもスーツケースもそのままで。) 

僕はトイレに行きたかったのを思い出した。
by tuscanycafe | 2007-11-28 00:18 | 働く学ぶ

家守綺譚

梨木香歩の「家守綺譚」だけは、ゆっくり読まないといけない。僕は、子供の頃食べるのが遅かった反動で、今は早食いで人に驚かれるほどになったけど、それと同じで、僕は本を読むのが遅いので、なんとなく急いで読もうとする癖がある。それでも、家守綺譚だけは、ゆっくり読まないと何も味わえない。

庭のサルスベリに惚れられたり、木蓮がタツノオトシゴを孕んだり、河童が脱皮したり、犬が河童とサギのけんかを仲裁したり、狸や狐に騙されたり、そんなありえないできごとをありえないと表現するのに抵抗を感じるほど、しっとりと落ち着いた世界だった。100年ほど前の日本ならこんなこともあっただろうな、と頷いてしまう。野分とか二百十日とか、今ではあまり意識しなくなった季節感も眩しい。

日本の食の豊かさも改めて思う。竹やぶで筍を探して、火であぶって鰹節と生醤油で食べる(ことを目論む)。こんな質素極まりない食事ですら、山から筍、海から鰹の合作だ。それに醤油の大豆と小麦が加わる。竹やぶも雑木林も、河童も狸も、もう今の日本の生活圏にはいなくなってしまったけど、日本食の豊かさだけは、かろうじて残っているのが有難い。
by tuscanycafe | 2007-11-24 22:47 | 観る読む聴く

ようやく

1月から描いている油絵の完成がようやく見えてきた。実質的にはこれが初めての作品なので、要領が悪かったのはあるとしても、1年近くもかかってしまった。周りの人はその間にもう何枚も仕上げてたけど(笑)。

バランスが悪いのはわかっても、どこを直せばバランスがよくなるのか分からないし、直すべき場所がわかっても、思い通りに直せない。だから、うんうん唸って絵を眺めたり、何度も塗りなおしたりしているうちに、こんなに時間がかかってしまった。

学校(アトリエ)からの帰り道、モチーフにした父親の商売道具のことを考えた。自分が大人になれたのも、あの商売道具達のおかげかと思うと、うちの父ちゃんも大したもんだなと思った。会社員とか公務員なら、極端な話、大学を出て就職さえしてしまえば、あとは真面目にさえ働いていれば、野垂れ死ぬ心配は殆どない。でもうちの父ちゃんの商売は、そういう安定性とは対極だもんね。それで子供二人を大学まで行かせて、たいしたもんだ。本当に。

僕が描いた商売道具の絵は、一度親にも見せてみよう。多分感想は、なんじゃこりゃ、だな(笑)。1年かけてこれかいな、とか。気を遣って、口には出さないだろうけど。感謝の意もこめつつ、第一作まもなく完成。
by tuscanycafe | 2007-11-23 00:01 | 描く(?)

どくとる

体調が変なので、病院に行った。これまでに経験したことのない症状だったので、専門医のいる大学病院を選んで行った。検査を受けて、診断を受け、薬をもらって帰ってきた。

それから1日、2日経っても、症状が一向に良くならないし、ネットで色々調べてみると、その病院で説明を受けた内容が辻褄が合わない気がしてきた。

それで、その分野で本を書いたりして、名医と言われている医者に診てもらうことにした。その医者は、初診の患者を診るのは先着何名まで、という話を聞いたので、受付開始前から並ぶことにした。受付開始の数時間前に到着したのに、すでに長い列ができていた。

数時間後にようやく順番が回ってきて、約1、2分の診察の後、その医者が下した診断は、その前の病院の診断とは全く違うものだった。

医者の世界の一流と1.5流の差は大きいなと思った。最初に診てもらった医者だって、その分野では専門知識があるはずなのに、あとちょっとの知識と経験の差で、全く別の結論になる。そして、医者の診断で結論が間違っていたら、プロセスが惜しくても何の意味もない。

他の世界だったら、90点と80点の差は10点しかないけど、医者の世界ではその差は果てしない(∞)。患者の立場からすると、面倒くさがらずに一流の医者を選ばないとだめだな、と思い知りました。(まだ、その医者の診断が正しいかどうかは分からないけど、最初の医者の診断が正しくなかったのは間違いないので。)

しかし、いくら一流とはいえ、患者ひとりあたり1,2分の診察で、1日に100人(推定)も診てたら、絶対間違いもあるだろうな。患者の取り違えとか。ゆっくり症状を説明しようとしても、すぐに追い出そうとするから、大事な症状を聞き逃すこともあるだろうし。だから、一流と1.5流の両方に診てもらうのが必要なのかな。お金かかるけど。

何の症状かは、本筋じゃないので省略しましたけど、癌とか深刻なのではないです。あ、性病とか恥ずかしい病気でもないです(笑)。
by tuscanycafe | 2007-11-22 00:08 | 暮らす

ちりとてちん他

朝の連ドラの「ちりとてちん」がすごくいいです。
基本的に朝の連ドラらしく、他愛がない楽しいお話なんですが、幹になる話がよくて、昨日の話ではボロボロと泣いてしまいました。一人一人の登場人物の思いがあって、それが師匠(落語の)の予期せぬ復帰につながり、そしてそれがまた主人公の祖父の思い出につながるあたり最高でした。

日本のゴールデンタイムのドラマは、お子ちゃま向けが多いのであまり見てなかったのですが、最近、気に入ったのが何本かあります。今気に入ってみているのは「働きマン」で、ひとつ前に見ていたのは「ホタルのヒカリ」でした。なんと両方日テレです。この2つも、それほど大人向けではないんですが、結構楽しんでみています。働きマン音頭も楽しい。

もっとしっかりしたドラマでいうと、少し前の、倉本聰の「拝啓、父上様」はすごく良かったですね。こないだ終わったNHKの「ジャッジ」も結構よかった。

オチもなんもない感想ですが。
by tuscanycafe | 2007-11-19 00:22 | 観る読む聴く

Aaaaaaaaaaaall the way

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93年から、14年間。We've come this far.
by tuscanycafe | 2007-11-14 23:13 | 好む

今昔 つづき

前回の「キヨト 今昔」で書いた「遊火」の動画を2つアップ。
京都の繁華街のど真ん中、三条大橋下にて。すげー。





遊火の公式らしきサイト(?)はこちら
by tuscanycafe | 2007-11-12 23:21 | 旅に出る

キヨト 今昔

京都でタクシーに乗ったら、運転手のおじさんが、「この前、島津から来た人が・・・」という話をするので、島津ってどこですか?と聞き返したら、鹿児島のことだったので、びっくりした。京都の人が「この前の戦争」といえば応仁の乱のことだ、というのはよく言われる話だから、鹿児島が島津でも驚く必要はないのかな・・・。鹿児島が島津だったのは、応仁の乱より400年も最近だし。

同じく京都で肉まんを買ったら、「辛子つけますか?」と聞かれた。十数年ぶりに聞いたな、この質問。もちろん辛子をもらって、つけて食べたら、おいしかった。東京でもやればいいのに。

夜、三条河原に行ったら、昔と同じように学生が大騒ぎしている横で、先っぽに炎をつけた紐や棒を振り回して踊ってる一団がいた。すげー、無法地帯みたいだ。東京の歌舞伎町でもこんなことはないぞ。あながち森見登美彦が書く京都も絵空事ではないかも、と思わせる光景。
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そう思いながら、その炎の集団を見ていたら、結構本格的なのがだんだん分かってきた。踊りも音楽も、よく練っている。この人ら、結構すごいな。一緒にあそこで太鼓叩かせてもらったら、楽しいだろうな、と思いながら、なぜか居心地が悪くなってきた。学生時代と今とがシンクロした変な感じだった。

三条河原の炎のダンサーは、遊火(あそび)というグループだそうです。土曜の夜に三条河原に行けば、会えるかもしれません。

(こちらは、前にアラブの砂漠で見たベリーダンサー)
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by tuscanycafe | 2007-11-06 23:01 | 旅に出る

昨日のつづき

昨日のつづき。哲学とか宗教というと、イデアだとか創造主とか、そういう観念的なものを僕は連想してしまうけど、自分としてはそういうものは全然しっくりこないし、なんで人がそういうものに惹かれるのかも、正直よく分からない。じゃあ神道的に混沌とした八百万の神を信じてるかと言われると、それも信じてないのだけれど、体質としては、そっちの方がずっとしっくりする。同じ宗教という名で括られていても、仏教(特に釈迦の教えのような原始仏教)は、意外とシンプルで、ある意味どうすれば幸せになれるか(苦しみから逃れられるか)、という方法論であって、形而上学的なものではないように思う。哲学にしても、アランのプロポを世間で哲学と呼ぶのかどうか分からないけれど、ああいう具体的なものの方が、質実剛健というか、地に足が着いていて、好きだ。なんとなく、観念的な考えの方が具体的な方法論よりも一段上のように思われがちだけど、頭のなかで作り出したものよりもずっといいし、真実も宿っている気がする。結局、宗教にしても哲学にしても、どんな学問にしても芸術にしても、政治にしても経済にしても、究極の目的は、人が幸せになれるかどうかだと僕は思っている。だから、誰かが考えついた観念的なものを信じるよりも、質実剛健な方法論の方がずっといいと思う。

今日道を歩いていたら、知り合いの女の子が遠くから「○○さーん」と嬉しそうに声をかけてくれて、明らかに自分に対して好感(恋愛系ではなく)を持ってくれているのが伝わってきて、それだけでとても幸せな気持ちになった。昨日のアランの「上機嫌」というのは、元々フランス語の訳なので、正確なニュアンスはわからないけれど、今日の彼女のような態度も含むんだと思う。心を開いている状態を。アランが言っていた「上機嫌は道徳的義務」という方が、「創造主はこう言った」というよりも、よっぽど人の幸せに貢献すると思う。
by tuscanycafe | 2007-11-02 00:31 | 思う